徳島 鳴門 岡崎海岸 撫養街道 産業の変遷
皆様、今晩は。最近は投稿が滞ってしまってすみません。今日は少し閲覧人数があったのでやる気だして書きます。時は2020年4月26日日曜日 鳴門にある岡崎海岸へ行ってきました。
ここは江戸時代あたりは鳴門海峡大橋もなくて淡路島や大阪から船でここにたどりついてそして一番札所霊山寺へお遍路へ行っていました。遍路目的だけではなく県外から徳島へ来るにはまずこの海岸へ来ていました。
その名残からか行ってみるとところどころに旅館があります。それもかなり昔に閉鎖したような旅館がちらほらみえます。ネットで調べるとなんと遊郭が二か所もありさらに
銭湯もあったようなのです。草が家に巻き付いてかなり古い家もありここは昔貿易港で
かなり栄えていたんだなあというのが脳内夢想できます。
今ではなんの変哲もない海岸なんですが昔の人がここで船をおりいろいろな交流があったことを考えるとなんだか面白くなります。皆様もいってみてはどうでしょうか。
軍艦島の徳島バージョンです。
船→橋→車→バス いまはバスとなってますが交通手段が変わるにつれて町はどんどん
変わります。今はITなのでPCやネットに強くならないと生きていけません。
昔は塩田作りや船作り 藍作りで生きていけましたが。
体動かして仕事するほうが性に合ってるんですが産業の変遷はそうはさせてくれません。